ずいぶん重量のありそうなブログタイトルですけど、これは最近読んだ本の題名です。
このタイトルから、皆さんはどのようなイメージをお持ちになったでしょうか。
ぼくは「時代遅れか、そうでないか、教えてくれるんだろうな〜」と思い、図書館から借りてきました。
ところが!
この本、読んでも読んでも「時代遅れだ!」とも「いいえ、まだまだ新しいのです」とも、ハッキリ答えてくれないのです。
「いやぁ、まいった!時代遅れかどうか、肝心なコトがわからんじゃないか!」と面食らったのですが、ここで、ふとある思いつきがアタマをよぎります。
「もしかして、時代遅れかどうかは、自分で判断してみてってことなんじゃない?」
その視点でみると、なるほど、合点がいく内容になっています。
そこで、またまたふっと気づいたのですが…
いつの間にか自分、「答え」というのは教えてもらうもの、本を読んだらすぐわかるもの、というのに慣れちゃってたんじゃない?
本屋さんに行くと「読むだけで〇〇」とか「絶対成功する〇〇」といった本が並んでいますし、ネットの宣伝文句やニュースタイトルでも「〇〇したらNG」とか「モテるための〇〇」といったワードが目白押しですから、いかにも「答えは教えてもらうモノだ、読んだらすぐわかるモノだ」と思ってしまいがち…でも、現実を振り返ってみると「そんなコトないよなぁ」ていうコトの方が多い気がします(「オススメの映画」と聞いて観に行ったけど、全然別の映画の方がおもしろかった、というのは、これと似たような感じかもしれません)。
小さい頃、ぼくはわからないコトがあると、「****ってなに?」と親によく聞いたものでした。
聞かれた親は、「自分で調べなさい」とバッサリするコトがありました(もちろん、ちゃんと教えてくれることもありました)。
今考えれば、ああいうの、大切だったんじゃないかなぁ、と思います(実のところ、その後自分でちゃんと調べてなかったのが、今の知識の薄さに影響してるかもしれません 苦笑)。
そういえば、絵を描いてると相当な頻度で「?」にぶつかります。
そのほとんどに「これ!」といった答えは無いようですし、あってもよくわからなかったりします。
でも、結局なんとかなっちゃったり、「とりあえず」でも「自分なりの答え」を出すコトが大事だったりしますし、「?」の答えを自分で探るのが、そもそも「描く」楽しさだったりもします。
*『いま、憲法は「時代遅れ」か <主権>と<人権>のための弁明(アポロギア)』(樋口陽一 著)は名前に違わず、非常に重量級の本でした。7割?6割?くらいしか理解できませんでした…
ですが、憲法が「時代遅れ」かどうか、自分で答えを探すための「材料」をたくさん与えてくれた気がします。よろしければ読んでみてはいかがでしょう。
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