*途中、ワニがでてきますけれど、これは筆者だと思って下さい(深い意味はないですが、とにかくワニは筆者です)
「平和」ってイイもの。
それはヨノナカのほとんどの人が感じていると思います。
「戦争」はイヤだ!
それも多くの人の共通の想いでしょう。
ただ、「自分にとって平和ってなんだろう」「なんで自分は戦争がイヤなんだろう」と、じっくり考えるコトってなかなか無い気がします。
最近、「改憲」という言葉をよく耳にするようになりました。
そんな時ですから、ちょっと自分にとっての「平和」を考えてみたのです。
母方の祖母は、自分の作った料理の味を、よく気にします(家族の他の人が作った料理はみんな「おいしい、おいしい」というのにね 笑)。
「ちょっとごはんが柔らかかったね」「今日はお味噌汁があまいね」など、食事中、しばしば言うのです。
僕自身は鈍感だもんで、全然気になりません。だからあまり気にされるとちょっと「うるさいなぁ…」と感じる時もあります。
ですが最近、気がついたことがあります。
祖母は、同居するようになってから20年近く、わが家の食卓を担ってきました。
その前にも、祖父や母の食事も作ってきました。もっと長い間。
ごはんの柔らかさ、お味噌汁のあまさの微妙な違いがわかるのは、この数十年にわたる経験の賜物なのでしょう。だから、二十数年しか生きていない自分にはわからない事が、祖母にはきっとわかるのです。
これは他のコトにも言えるでしょう。
祖母は花が好きで、花についてよく語ります。知らない花の名前が、自身の体験に基づいてポンポン出てくる事もあります。
洗濯物のたたみ方も、僕や母よりもすごく丁寧です。素早く、ぴっちりたためるのです。
これらは全部、祖母が今までの長い人生の中で培ってきたものなのです。
話は少し変わって、父方の祖父は数年前に亡くなりました。
読書や勉強が好きな人で、本棚には難しそうなタイトルの本がズラリと並んでいました。
先日、祖父の家に行った時、興味のわいた本を数冊拝借して読んでいたら…ページの端が折られていたり、文の脇に棒線が引かれているのを見つけました。
持って返らなかったけれど、「家庭の医学」的な本にはメモも挟んでありました。
そういえば、祖父はいろんなコトに興味を持っていて、いろんな事を知っていたと記憶しています。
元漁師だった祖父に、様々な漁法を説明してもい、夏休みの自由研究にしたコトもありました。
祖父もその人生で得てきた「イロイロなもの」を持っていたのです。
さて、先ほども申し上げましたが、祖父は数年前に亡くなりました。
それと一緒に、祖父の持っていた「イロイロなもの」も失われてしまいました。
確かに、残された本の棒線や、小学校の自由研究を見返せば、祖父の持っていた「イロイロなもの」の一部を振り返る事はできます。
しかし、それは結局「一部」なのです。もっともっとたくさんのモノを持っていたハズですが、それについてはもう、二度と知る術が無いのです。
そう思うと、「あぁ人が死ぬってこういうコトなんだ…」とじんわり感じ、とても切なくなるのです。
祖父は戦争で亡くなった訳ではありません。
しかし、戦争ではたくさんの人が亡くなります。
何千、何万の人達の、それぞれ持っていた「イロイロなもの」が無くなります。
よく映画で、政府の人達やエライ軍人が「こちらには〇〇機、戦闘機がある。苦しい戦いになるがなんとか勝利できるだろう」みたいなコトを言いますが、その〇〇機飛ばした飛行機の中にも、「イロイロなもの」を持ったパイロットが乗っているのです。「苦しい戦い」ということは、それらの、いくらかが、失われるということでしょう?
そんなのはダメです。だから、僕は戦争には反対です。
話は最初に戻ります。
母方の祖母は今も元気で、散歩中にみかけた花について話してくれたり、美味しい料理も作ってくれます。そうしながら、自分の中の「イロイロなもの」を増やしたり、さらに豊かにしています。
なぜ、そういうコトができるのか。
それは日本が平和だからだと思います。
好きな事に興味が持て、それについて調べる事もでき、感じた事を自由に発表できる。
「イロイロなもの」はきっと、人生を幸せなモノにしてくれるでしょうし、それらを探求できるのはとても、とても、とってもありがたいことです。
あたり前のコトのようですが、とても大切なコトでもあります。
そういう「平和」、僕は好きです。
近年、日本人に他人を思いやる心が欠けてきている気がします。
本日、電車・バス通勤の方が、人身事故で電車が遅れて遅刻してきたのですが、その中で、電車自殺なんて迷惑のかかる所で死なないで、ひっそりと死ねばいいのに的な話題を耳にしたそうです。
学生のいじめにしても陰湿で「死ね」という単語が軽く扱われている気がします。
生活保護改悪に関しても、生活保護を受けねば死んでしまうような方が受ける制度であるはずなのに水際作戦が横行。
「弱い者たちが夕暮れさらに弱いものを叩く」ブルーハーツの名曲トレイントレインより抜粋
自分より弱い立場の人を蹴落として自己満足の世界なのでしょうか?
目上の人には歯向うなという教育がこのような歪んだ社会を形成しているのか
↑の精神がブラック企業が蔓延している理由なのかも
そして時間とお金に余裕のない人達が増え人を思いやる心が失われていく。
思いやりの心が欠けてきている…というコト、事実そうなってきていると思います。
時間とお金の余裕が無いコトも、拍車をかけている気がします。
その結果が、弱いものいじめになっているのも感じます。
そして、その根っこには、想像力の欠如があると、ぼくは思います。
スケッチをする時、よいものを描くには、「その人が、どんな目的で、何をしているのか」を、(間違っててもいいから)とりあえず判断してペンを動かさなくてはいけないようです。
そうでないと、ただの線のカタマリになってしまって、「なんだかな〜」的な気分になってしまいます。
だから、イヤでも、想像力を使わねばなくてはいけないのです。
そういう風にスケッチを続けていく中で、スケッチをしなかった時とだいぶ思考が変わったと、自負しています。
その変わり方が、前よりも「良くなった」のか「悪くなった」のかは、わかりませんが、少なくとも「想像力」を使う事の大切さは分かった気がします。
今のヨノナカの雰囲気は、スケッチをしていなかった頃の自分と被る事が、しばしばあります…イイところで被っていたら良いのですが、その被り方、悪いところで被っているんですね…。
お久しぶりです。
僕も書いちゃいます。
「戦争が大好きで平和が大キライ」・・そんな人、この世の中には誰一人だって居やしないのです。
本当は。
誰だって戦争はイヤです。武力戦争どころか経済戦争だってイヤ・・僕はね。
イヤだというのに戦争は起きる。現実に世界のどこかで必ず起きています。
日本海を隔てた某国は「今も戦争状態だ!」と言って憚らない。
だから「戦争」って誰かが「起こす」ものじゃない。むしろ自然現象のように「起こってしまう」。人間が集団生活を始めたときに必ず、と言ってよい程
陰のように付きまとう「爆弾」のような気がしてならないのです。
「スポーツにあって戦争に無いもの」って何だと思いますか?
答えは「共通ルール」
戦争を「なるべく起こさないようにする」のは日本国憲法のようなルールを全世界の国々が共有すること、です。
よく「憲法第96条、および第9条改悪反対」を叫ぶ政党のみなさんに言いたい
それなら「戦争は起きないんですか?」と。
「中国もアメリカも韓国もロシアも、平和憲法を作ろうとしない。何故なんですか?」とね。
「事情が違う」なんていう話じゃないと思うんですが・・・。