おかげさまで、BOH-BO工房は近頃お仕事が増えてきました。
ありがたいことです。
そんな中、段々とスケッチをしたり美術館などに行く時間が少なくなってきました。
そのことをお話しますと、「それは良いことかもしれないよ! それだけ忙しくなってきたってことだよ!」というお言葉をたびたびいただきます。
そこで、自分もホッとして「そうかぁ〜、忙しくなってきて、これは次のステップに行ったのかな!」なんて嬉しく思ったりしました。
でも…
かえるアート展の時だったでしょうか、作家さん達とお話をしていて、とても大事なことを思い出しました。
以前、開業したてで、たくさんスケッチをしていた頃、こんなことを思ったことがあります。
「ペンが触角みたいになったらオモシロいんじゃないか」。
当時は半ば冗談のように考えていましたけれど、スケッチを繰り返すことで確かに「ペンが触角」のように感じたことが、度々あったのでした。
描くコトを通して、世界に触れて、モノの本質をかいま見た気がしたんですね。
自分の中で目の前のデキゴトやモチーフがストンと腑に落ちる感覚でした。
そうそう、そうでした。その時、確か(これも漠然とだったかもしれませんが)スケッチを自分の絵の発達の基盤に置こうと考えたのでした。
絵が「上手くなる」方法は実に様々です(そもそも「上手くなる」という言葉自体がかなり幅のある言葉ですが、それは置いておいて)。そして、その方法も千人千色のようです。
絵描きはその無数にある方法の中から、自分に合った、自分なりの方法で「絵」の世界を開拓します。そこに「絶対の答え」は無くて、それが描くことのひとつの大きな壁だったりすることもあります。
そんな中、「絶対の答え」ではないかもしれないけれど、経験と結果から自分で導き出した「絵が上手くなる方法」が「スケッチ」でした。
あぁ〜だから喜んではいられなかったのです。
自分の中で「スケッチはもう卒業!」という決心が起こるのではなく、外的な要素で、つまり「忙しくなってきたから」という理由でスケッチを除外してしまうのは、やってはいけないことなのでした!
そんな訳で、怒濤のような6月でしたが、必死にしがみついて街中スケッチをやりました! 日にちの「歯抜け」がありますけれども!(あいや、「必死に」なんて言ってますけれど、今夏のファッションは軽やかで、清々しく、今年のトレンド「白」はとってもマブしい色ですから、結講楽しくやっていました)
ところで、もうひとつ大事なこと。
「描く」ことはスポーツです。「スケッチ」は大事ですが、それ自体やその時間の確保に頑張りすぎると「描くこと」全てが崩れます。
ここでも「頑張らなきゃいけない」みたいな自分への脅迫や、根拠もなしに「無理してでも描く!」という渦に陥ってはいけません。
ましてや他の人からの「スケッチしてないなんて頑張りが足りないね」という言葉にビックリして描こうなんてしたら大変です!
だから、ここで新たな問題に直面です。
一日は24時間しかありませんから、その中でうまぁくスケッチをこなしていかなくてはいけません。さぁどうしましょう…。
すばらしい。深く共感します。
>Kazeraimon先生 ありがとうございます! 絵を描いている時や、その修行(?)中は孤独ですから、こうやってお言葉いただけるとすごくホッとします! 今夜も寝る前に描きますよ〜!